モカコーヒー発祥の地、イエメンから【海ノ向こう編集室】


イエメンの農家さん

みなさん、こんにちは!海ノ向こうコーヒーの舛田です。今回は、中東イエメンのコーヒーのお話をしたいと思います!

中東の最南部に位置するイエメン。みなさんはどんなイメージをお持ちでしょうか?あまりピンとこない方も多いかもしれませんが、実は、イエメンはコーヒーの生産国なんです。



日本でもなじみがある「モカ」というコーヒーの名前。その名前は、実はイエメンで生まれたもので、コーヒーを出荷していたイエメンの「モカ港」という港の名前に由来しています。今でこそ、コーヒーのフレーバーを説明するために使われたり、エスプレッソとチョコレートを混ぜたものを「カフェモカ」と呼んだりと、様々な場面で使われている「モカ」ですが、もともとは産地名を示す名前だったんですね!

さらに、コーヒーが嗜好品として飲まれるようになったのは、イエメンのイスラム教徒が夜遅くまで起きてお祈りするために飲んだのがはじまりとも言われており、イエメンのコーヒー産業には数百年の歴史があります。実際に、コーヒーは石油に次いで、イエメンの重要な輸出項目の1つとなっています。



内戦下のイエメンで

そんな歴史あるイエメンのコーヒーですが、2014年ごろから続く内戦の影響でコーヒーの生産量が減少しています。内戦の前、コーヒーはサヌアからアデンに運ばれ、輸出されていました。しかし、内線の影響により、現在は幹線道路を迂回する必要がある上、武装勢力の検問所が100箇所近くあり、とても危険な状態だそうです。農家さんもコーヒーの出荷が難しくなり、収入の手段が奪われてしまっています。

また、カートと呼ばれる、興奮、覚醒作用のある植物の流行もコーヒーの生産減少の大きな要因となっています。コーヒー畑は、より儲かるカートの畑に植え替えられ、水資源の枯渇や農地の汚染も引き起こしています。



タレックさん兄弟の挑戦

タレックさん

そんな中、品質の高いコーヒーを作り、より多くの人にイエメンのコーヒーを届けたいと活動しているのが、アル・モガヘッド・タレックさんです。イエメン出身のタレックさんは、2014年に日本の大学に留学されました。ちょうどそのころから、母国イエメンでは内戦が激化しました。イエメンに住む家族と電話する度に空爆の音が鳴り響いていたそうです。

母国のために何ができるのか、タレックさんは考えました。コーヒーが、内戦で疲弊したイエメンの経済を救うかもしれない。そして、コーヒー栽培できちんと生活ができるようになれば、カートの乱用も減るはず。そんな思いから、大学卒業後に日本人とともに「モカオリジンズ社」を立ち上げました。社名のモカオリジンズには、「イエメンのモカ港がコーヒー輸出の起源である」という意味が込められています。


イエメンの山々

農家さんと一緒にコーヒー作りに取り組むのは、現地に住むタレックさんの兄、コサイさん。タレックさん兄弟は、「市場価値の高いスペシャルティコーヒーを作り、高値で売ることができれば、農家に多くの利益を還元できる」と考えました。

高値で売れるコーヒーを作るためには、徹底した品質管理が必要になります。とくに重要なのが、収穫の際、しっかりと熟したコーヒーチェリーだけを選んで収穫することです。それは、農家さんにとってはとても手間のかかることなのですが、コサイさんは、農家さんに呼びかけ続けました。



「世界で胸をはれるコーヒーをつくりましょう。」

イエメンの農家さん

今では多くの農家さんがコーヒーチェリーの収穫のタイミングを守るようになり、品質の揃ったコーヒーが作れるようになりました。このような農家さんたちのたゆまぬ努力が、品質の高いおいしいコーヒーを作り出しているのです。

「助けは求めていないんです。」とタレックさんは言います。おいしくて品質の高いイエメンのコーヒーが評価され、多くの人に楽しんでもらうことが、イエメンの国の経済や戦下を生きる人々のためになる。

イエメンに平和が訪れること、そしてコーヒーを通して多くの方にイエメンを身近に感じていただけることを祈りながら、希少なコーヒー豆を皆さんにお届けします。








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